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【自己紹介】ゼロから始める!40代“なんでも屋”が時給2000円に挑む理由

はじめまして!
かしみーです。
私のWebサイトをご覧いただき、ありがとうございます。

私は40代でスキルゼロで、
Webマーケティングを学びながら、在宅ワークで時給2000円を目指しています。

なぜ、Webマーケティングを身につけて在宅ワークをしようと思ったのか、きっかけをお話したいと思います。

基本情報

名前:かしみー
生まれ:1980年(44歳)
出身:岡山県
職業:会社員
家族:夫・思春期の子ども2人・ペット(犬🐩)
趣味:推し活⛄、編み物、ゲーム、美容、ファッション、多肉植物を愛でる

生い立ち

幼少期~高校時代

私は、当時会社員の父と専業主婦の母の間に第一子として誕生しました。
その3年後に妹が。小学校の低学年までは”普通の家庭”でした。

幼少期の私は超人見知り。数週間合わないと初対面と一緒な態度をとる子でした。
妹は「口から生まれたんか」とよく言われるほどのおしゃべり。妹がしゃべるから私は黙ってても大丈夫という思考が生まれ、人見知りも相まって無口な幼少期を送りました。

しかし、私が小学校低学年のとき、父が母に相談もなく会社を辞めてきたことで状況が一変しました。

・父の退職理由は「年上の部下を持ちたくなかった」
・母は当然激怒し、大ゲンカ
・父は酒を飲んで大暴れし、ご近所へ一時避難

父は、自分が持っていた資格を生かして自営業で電気関係の仕事を始め、母も夜勤でパートに行き始めます。しかし、バブル崩壊後だったこともあってか、父にその才能がなかったのか、うまくいきませんでした。結果、酒の量は増えていき、私が小学校高学年の時に糖尿病を発症し、中学生になる頃にはアルコール依存症に。入退院を繰り返すようになりました。そして、母は宗教にハマりパートも辞め、家の貯金も底をつき、生活保護を受けないと生活できない状況までになってしまいました。

そんな状況でも中学校は部活への入部が必須だったため、部活動はさせてもらいました。部活の時間は、酒が止められず、飲んで暴れて病院送り…を繰り返していた父のことを忘れられる、貴重な時間でした。

一番家庭環境が悪かったのは、高校受験をどうするか…という時期でした。私はちゃんと高校へ行って、卒業後は家を出たいと思っていました。
しかし、母からは

「高校へは行かずに働いてほしい」「お姉ちゃんなんだから」

自分は働きもせず、娘に働かそうとする母の姿勢に、私は嫌悪感を抱き、人生を諦めた気持ちになってしまいした。

とはいえ、生活保護世帯であることから学費などに免除が適用され、母も渋々ながら私の高校進学を許してくれました。制服代などは祖母が援助してくれました。

高校生活は毎日が楽しく、家のことを忘れられる貴重な時間でした。一日も休まず登校し、勉強も好きだったので成績も3年間トップクラスでした。
商業高校だったので検定もたくさん受け、ほとんど合格したのでこのころの私が一番スキルが高かったかもしれません。

このころから父は「断酒会」というものに入会し、アルコール依存症を克服しようとしていました。母は相変わらず宗教へあししげく通う日々…。

高校卒業後の進路を考えなくてはならない時期になると私は、氷河期だし進学して手に職をつけた方が将来的に安心と思っていました。しかし、進学費用なんてものは我が家には存在しません。「卒業したら家を出る」がもっぱらの目標だった私は、奨学金=借金、生活していくには就職するしかない、しかも遠くへ。としか考えていませんでした。

飲食店でアルバイトも始めましたが、当時の時給は610円。放課後から21時まで働いても1ヶ月の収入は微々たるものでしたが、自由に使えるお金に心が満たされたように感じました。自由に使えるお金で推し活をしていました。この推し活が私の心を救ってくれたんです。

商業高校ですが、90年代後半で就職氷河期真っただ中。進学8割就職2割の時代でした。就職希望の中では成績トップだったので、第一希望の都会の企業を受験。ありがたいことに内定をいただけ、「家を出る」という目標は達成できました。

社会人になってから

新卒で入社したのはホテルです。そもそもサービス業の基本給は高くなかったと思いますが、高卒ということもあり、大都会の真ん中にあるところでこの給料!?という金額でした。寮だったので、寮費が格安だったから生活できていました。

私が家を出てから父は脳梗塞、心筋梗塞で手術をすることになるのですが、そのたびに母から「お姉ちゃんなんだから戻ってきてほしい」と言われ、そのたびに私は母への嫌悪感が募るばかりで、一生帰るもんか!と思っていました。
しかし、新人研修で一番やりたくないなと思った部署へ配属され、女性で唯一夜勤と日勤が入り混じるような勤務で働いた結果、約4年で退職することに。規則正しく、いっぱい寝るのが大好きだった私は体調を崩してしまったんです。
親から解放された自由を満喫し、趣味や推し活にお金を使っていたので、退職するときに貯金はほぼありませんでした。退職金をいただいたとしても都会に残って生活する余力はなく、実家に戻るしかありませんでした。

地元での再出発

「地元で働いてお金を貯めてからまた家を出よう」と決意して実家に戻りました。

田舎での必須アイテム
・自動車免許
・自家用車

私は免許すら持っていなかったのでまずはここから開始です。
派遣や短期のアルバイトをしながら教習所へ通うためにローンを組みました。フリーターでも組めたんです。そして、今度は自分の車を買わないといけません。このころ父も会社勤めをするまで復帰していたので、父名義でローンを組みました。支払いに追われ貯金どころではなく、社員で探そうにも学歴でほとんどがだめな状況で、やっと採用してもらえたのがビジネスホテルでした。結局、サービス業は給料が安すぎて数か月で退職。最終的に派遣社員で事務職に転職しました。

私が地元に戻ってから1年ほどして父は死去。脳出血でした。長かった闘いから解放された気分でした。が、母からの呪縛は私が結婚するまで続きました。

モヤモヤが止まらない会社員時代

私は、高校卒業後から今の会社に入社するまで、サービス業や派遣社員、アルバイトなど、いくつもの仕事を転々としてきました。自分で選んでおきながら働いていくうちに自分に合わないと感じたり、勤務時間が不規則で体調を崩して結果的に退職…そんなことの繰り返しだったんです。

そのせいで職歴に一貫性がなく、社会に出てから資格も取得することはありませんでした。
それでも今の会社に入社して約18年、その間に結婚・出産を経て時短勤務をするうちに、気づけば雑用を請け負う担当のようになっていました。

だれでもできる「なんでも屋」

私は現在、地方にある広告代理店のような機能を持つ会社で、販促物の原稿管理・制作を担当しています。

入社するまでの間で「モノをつくる」ということを学んできたわけではありません。

今の会社に応募した理由は、以下の条件で求人が出ていました。

・経歴「学歴不問」
・職種「データ入力」

商業高校出身の私は、ブラインドタッチは得意です。
入社当時はまだ独身で、実家から車で通勤片道約1時間…かなり遠いのですが、田舎なのと自分自身が高卒ということで求人数も少なく魅力的に感じて応募
無事、採用されることになります。

入社してからは、印刷前のチェックや個人情報を扱う部署でコールセンター業務など、様々な業務を経験してきましたが、基本は「だれでもできるなんでも屋」です。

入社後に結婚して子どもも2人生まれ、時短勤務でワンオペ育児だったこともあり、「なんでも屋」は業務の調整もしやすく、楽でありがたい働き方でした。

「スキルゼロ」と感じる理由

今の会社でさまざまな業務を経験してきましたが、私が「スキルゼロ」だと思う一番の理由は、会社の外に出たときに活かせるスキルがないと感じているからです。職歴に一貫性がないことも影響していますが、それ以上に社外で武器となる専門スキルを持っていないのが大きい要因です。

デザインスキルがない:自分の“強み”になり得る技術を持てなかった
何かしら仕事はあった:強みを育てなくてもなんとなくで業務をこなせていた

社内では基本的に専用ツールを使い、ExcelやWordも必要最低限は扱えますが、高度な機能を使うときは調べながらの作業です。部署を異動してからは、事務的な仕事だけでなくデザイン寄りの業務が少しずつ増えてきましたが、細かな違いがわからずモヤモヤする日々。先輩や上司に詳しく教えてもらえるわけでもなく、正直「もうやりたくない」と思いながら仕事をしていました。

とはいえ上司からは「社員だから」と言われるとやるしかない。辞めたい気持ちはありましたが、お金がなくて辞められないのが現実でした。

目先の業務をこなすばかりで、しっかりと学んできませんでした。時短勤務になったことで収入が減り、自分に投資する金銭的な余裕もなく、子育て真っ最中だったこともありそんな時間もなく…ただ毎日が疲れて終わっていくだけの日々になっていました。

目先の業務をこなすだけで、しっかり学ぶ機会や意志を持てなかったのが現状です。時短勤務で収入が減っているうえに、子育ての真っ最中で自分に投資する金銭的・時間的余裕もありませんでした。結局、家事と育児と仕事に追われるだけの毎日で疲れ果てる一方。そんな日々を振り返ると、「スキルゼロ」と感じてしまうのも当然なのかもしれません。

在宅勤務が可能になったコロナ禍とその後

私が出産する前後で子育て中の女性社員が増え、在宅勤務ができる人が増えてきました。
2人目の育休復帰後は個人情報を扱う部署にいたため在宅勤務は不可能でしたが、在宅勤務をされている他の女性社員をうらやましく思っていました。

会社の規定で小学校に入学するタイミングで時短勤務が終了だったため、通勤時間の関係で社員でいることは難しく、一度退職しようと思ったことがあります。

しかし、ある人に相談したことがきっかけで小学3年生まで時短勤務ができることになり、この時に相談した人に仕事を手伝ってほしいと言われて、現在の部署へ異動になりました。

その時私は30代後半、ここで退職していたらまだ他の道があったかもしれません。
今更後悔してもしょうがないのですが…。

下の子が小学2年生の終わりでパンデミックに。
コロナ禍を機に、ありがたいことに在宅勤務が全社員可能になりました。小学校が休校になったことで私も在宅勤務を開始しました。

ところが、状況が落ち着いた今、会社の規定か変わり基本的にオフィス出社に戻そうとしており、在宅勤務を続けるには理由が必要に。子どもたちも中学生になり、「子育てで在宅」という言い分も通じにくくなりました。

働く主婦にとって在宅勤務はとてもありがたい働き方でした。

結婚してから通勤時間は短くなっていましたが、それでも朝のラッシュ時には車で30分以上かかりました。元々車の運転も好きではなかったので、通勤0分で仕事ができることはストレスも少なく良い時代になったと感じました。
そして家に私がいることで子どもたちの癇癪も少なくなったのです。
保育園のころ、下の子はめちゃくちゃマイペースなため、毎朝私が遅刻しないように準備をさせるのがひと苦労でした。準備が遅いとこっちもイライラ…それを感じとって癇癪を起す…無理やり車に乗せて不貞腐れた状態で保育園に預けていく…がしょっちゅうでした。
小学生になってからも放課後は学童に預けていたので、迎えに行ってから帰宅。ワンオペ育児と家事に追われる日々。私の心も荒みます。それを感じとった子どもたちもヒステリックになりがちでした。
それが在宅勤務になったことで母が家にいるという安心感なのか、子どもたちの変化を大きく感じました。

在宅勤務になってからは、勤務時間もフルタイムに変更しました。
多少の残業は仕方ないこともありましたが、子どもの都合に合わせて働けたので会社にも感謝していました。

モヤモヤが止まらない…そして、限界に

ここ数年は退職者の補充がなく新卒採用もないため業務負担が増大、残業時間が少しずつ増えはじめました。この2年ほどはたった一人の社員が残業が飛びぬけて多いということで、その人からの業務移行ばかりです。業務を奪っても奪ってもその人の残業は減らないのです。根本的なところが違う気がしてモヤモヤ…。そのうえ、業務の関係で1ヶ月のうちに出社する回数も増え、少しストレスに感じていました。

しかも、残業が増えても基本給はほとんど上がらず、年齢も重ねて体力的にもしんどい状況になりました。給料形態が残業保証枠があり私の場合、月15時間ほど残業しないと残業代がつかないのでなるべくなら残業はしたくない、けれど、残業しないと業務が終わらないことも多くなりました。

夫は節約家のため、最低限の生活費は出してくれますが、それ以外は私の収入から必要なものを買っていました。そのため、自分の貯金はほとんどできずにいました。
私は子ども時代に貧しい経験をしているので、「子どもたちのためにも仕事は確保しておかないとダメだ。」と、目先の給料のために働き続けました。

正直なところ私は、仕事が楽しいと思ったことがほとんどありません。

「このまま楽しいとも思えない仕事を続けていいのだろうか。」という思いを抱えていましたが、「アラフォーで、子どももいて、使える資格も持ってないし、転職なんて絶対もう無理だろうな…。」と自分の中で歯止めをかけていました。そして、「社員だから」という呪縛で、手持ちの業務を増やすしかありませんでした。もうこれ以上請け負えないと感じていたときにまたやってくる業務引継ぎ依頼。さすがに断ろうとすると「とりあえずやってみて」と。とりあえずって…またモヤモヤ…。この何気ない一言が私の中で決定打となり、本気で辞めることを考えるようになりました。

しかし、子どもたちも中学生になり、これからもっとお金もかかってきます。

「辞めたい、このままだと私は病んでしまう。しかし辞めたとて転職できるのか…」というループに陥り、おかしくなりそうでした。

オンラインスクールとの出会いと挑戦

いざ転職を考えても、40歳を過ぎてからの正社員採用は厳しいのが現実。
そのうえ、我が家は自分のお小遣いは自分で稼ぐスタイル。
私の趣味は推し活です。お金がかかります。もうひとつお金のかかる趣味を抱えています。それは編み物です。一着分のセーターを編むには、安い糸で数千円、高い毛糸だと数万円かかります。
そして、犬もいます。私と子どもたちが飼いたいと希望して飼うことになったので、夫は一切出してくれません。「可愛い」というのに犬の生活費用は出してくれません。
お金のことをいうと趣味をボロクソに言われるので、夫には頼れないんです。

・今から正社員採用されたとしても定年まであと15年ほど
・そもそも田舎なので働き口自体多くはない
・少し街に出て働くのは長時間の通勤になるので嫌…。
・趣味は老後も続けたい。
・老犬になったときの介護を見据えると家にいたい。

そこで、社員じゃなくても収入が増やせる働き方のひとつとして見つけたのが在宅ワークです。
田舎の給料では、このまま働き続けても上限が見えています。
会社に在籍していなくても在宅勤務ができるのかということに驚きました。

在宅ワークについてリサーチする過程で、Webフリーランススクール「リモラボ」を知り、無料説明会に参加して「なんか楽しそう」、先輩方のYouTubeを拝見しても「なんか楽しそう」と、感じました。

いままでの転職の仕方はまず「高卒が対象か」、その次に「資格がいるのか」、最後に「基本給いくらか」を見ていました。
そこに「楽しそうだからやってみたい」という気持ちは1ミリもありません。
「楽しそうと思えることを仕事にできたらめっちゃ良い!」と、思い切って入会しました。そこで仕事をしながらSNS運用や在宅ワークの基礎を学び始めました。

学んでいる過程で感じたことは「Webマーケティングを理解しないと中途半端になるのではないか」ということです。私は、あれもこれもをするのが難しいタイプで、基礎を学びながらマーケティングやライティングのことまで手を広げるのは至難の業でした。

そのうえ、残業が続いている現状では学習時間の確保が難しくモヤモヤが増すばかり…。
聞くだけでも勉強になるということで、家事をしながら、なにか作業をしながらで耳だけ学習モードで時間を確保しても、「ながら学習」では身についた実感も薄くてモヤモヤ…。
そんなときに「Webマーケティング」を深く学べる機会をいただき、「ここで本格的にスキルを身に付けよう」と決意しました。

目指すゴール:時給2000円の在宅ワーク

現在、会社員としての月収は18万円弱。時給換算すればおよそ1100円程度です。ここから、1年後には時給2000円で在宅ワークを実現し、会社員以上の収入を得たいと本気で思っています。

このサイトでは、私がWebマーケティングや在宅ワークを学び、実践しながら成長していく過程をありのままにお見せしていくつもりです。
失敗談も含めてリアルを発信し、同じように「40代だけど、スキルゼロだから…」と諦めそうになっている方の一歩を後押しできればうれしいです。

最後に

私自身、不安に思うことも多々ありますが、「このままで終わりたくない」という思いで、在宅ワーク&時給2000円を目指して奮闘中です。

私と同じように年齢や経歴で悩まれている方の参考になれるように、成長過程を記録として残し、発信していきたいと思っています。

もしよろしければ、定期的に私の成長を見守っていただけると嬉しいです。

最後まで長文を読んでいただき、ありがとうございました!